【ソニー(SONY)の由来】5分で知る世界的企業のルーツ

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SAITO
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こんにちは。由来系ライターのSAITOです。

 

今回のテーマは世界最大級AV機器メーカー「ソニー」の由来です。

 

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ソニー(SONY)の由来:SONUS+SONNY

 

ソニーは「SONY」というスペルで英語のようにも見えますが、実は造語です

 

「SONY」は英語の「SOUND(音)」の語源となったラテン語の「SONUS(音)」と英語の「SONNY(やんちゃ坊や)」を合わせた造語とされます。

 

ジトメちゃん
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発音しやすく世界共通の四文字”S””O””N””Y”を使うことで「ソニー」となったという逸話もあるよ。

SAITO
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「やんちゃ坊や」は井深がソニー(の前身)を設立する際に、「自由闊達(じゆうかったつ)」を掲げたことに由来します。詳しくは次章で説明します。

ソニーのルーツは学生発明家?

 

ソニーの歴史を見ていきましょう。

 

ソニーの父・井深大

 

井深大(いぶかまさる)はソニーの創業者です。

 

古河鉱業日光製銅所(現・古河電気工業)の技師・井深甫(たすく)の長男として1908年(明治41年)に古河鉱業の社宅で生まれました。

 

しかし、父は井深が3歳の時に膝を強打、結核性脊椎炎で31歳の若さで亡くなってしまいます。その後、母は再婚、嫁ぎ先は神戸でした。

 

井深は祖父母の元に預けられていましたが、田舎で勉強してもしょうがないとして、母のいる神戸で暮らすことになります。

 

猛勉強の結果、見事に難関・県立第一神戸中学校(現在の県立神戸高等学校/以降、神戸一中)に合格。井深はこの頃から「無線機」の製作・改造に打ち込んでおり、後のソニー創業につながります。

 

学生のうちに特許を取得してしまう

 

神戸一中を卒業すると、早稲田大学高等学院に進学、さらに早稲田大学理工学部へと進みます。

 

井深は理工学部3年の時に、光通信の実験を成功させ、「光電話の発明」に成功した学生発明家として話題になりました。この際、光を自在に操るネオン管を「走るネオン」として特許を取得しています。

 

しかし、学生時代の輝かしい功績もむなしく、1929年(昭和4年)に世界恐慌の影響で就活が難航、志望していた東京電機(現・東芝)に落ちてしまいます。

 

こうして1933年(昭和8年)に「写真化学研究所(現在の東宝の前身のうち一つ)」に入社します。学生時代の「走るネオン」の研究が認められたためです。

 

写真・映像・録音に関する会社でしたが、研究活動は自由に行うことができたため、学生時代の研究「走るネオン」をパリ博覧会に出展、優秀発明として金賞を受賞します。

 

その後、井深は写真化学研究所の映画事業が肌に合わないとして、「日本光音工業」に移籍、無線部で真空管やブラウン管の研究・開発を行うようになります。

 

その後戦時中となると、測定器を作りたいとして大学時代の学友・小林恵吾を誘い、「日本測定器」を設立します。1941年(昭和16年)に太平洋戦争が開戦すると、日本軍からの注文が殺到しました。

 

自由闊達をめざして

 

終戦後、井堀は神戸一中時代の先輩の支援を受けて、日本橋で「東京通信研究所」を設立しました。初めのうちは「短波受信機」「電気炊飯器」などを手掛けます。

 

事業が軌道に乗ると、1946年(昭和21年)に「東京通信工業株式会社(以降、東通工)」に改変します。

 

東通工の設立時の「設立目的」について以下のように述べています。

 

「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

(引用:SONY「企業情報」https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html)

 

ジトメちゃん
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「自由闊達(じゆうかったつ)」とは、度量が大きく、細かいことは気にしないという意味。

SAITO
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少しだけやさしめに言い換えると「真面目な技術者(エンジニア)のスキルを一番効率よく発揮できるようにするため、細かいことは気に留めず、明るく楽しい理想的な工場を作ること」となります。

 

株式会社となってからも、とにかく売れる商品を売ろうと電気マットを販売していました。

 

工場が手ざまになり、拡張し始めた頃、NHKからの依頼が舞い込んできます。依頼は軍事用無線を放送用無線に改造してほしいという内容。その後もNHKから仕事の依頼が来るようになりました

 

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このNHKの仕事を請け負ったことで東通工は後のオーディオ関連商品の開発につながる知識・経験を身に着けることができました

 

「日本初」を生み出すソニー

 

こうして1950年(昭和25年)、日本で初めてテープレコーダー「G型」を開発・発売します。

 

翌年の1951年(昭和26年)には改良型「H型」を発売、通産大臣賞を受賞しました。ゼンマイ式携帯用テープレコーダー「M-1」型が「デンスケ」の愛称で親しまれます。

 

1955年(昭和30年)、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売しました。

 

それまでのラジオは大型で持ち運びに不便でしたが、東通工のトランジスタラジオは小さく、軽く、寿命が長いなど「ラジオのイメージ」を一変させ、世界を驚かせた新商品でした。

 

東通工ではこれを新たな時代の幕開けとして「東通工」のブランド名を廃止、新ブランド名「SONY」を掲げます。こうして1958年(昭和33年)、社名・東通工を現在の「SONY」に統一します。

 

ウォークマン誕生

 

1971年(昭和46年)、井深は会長職に就任すると社外活動が中心となってきました。

 

井深は音楽鑑賞が趣味であり、アメリカに出張した際には、わざわざ教科書ほどのサイズの録音機を持ち歩き、ヘッドホンをつけて聞いていたとされます。

 

しかし、持ち運ぶにしてはやはり重いため、小型で軽量な音楽再生デバイスを必要としていました。これをソニーに提案・依頼して生まれたのが「ウォークマン」です。

 

1979年(昭和54年)、ウォークマンを発売すると、若者を中心に人気を集めるようになります。

 

SAITO
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ソニー創業者・井深大は1992年(平成4年)、産業人初の「文化勲章受章」を受賞します。1997年(平成9年)、89歳で亡くなりました。

 

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