「沖縄」の由来を考えると、「沖」は周りが海なので想像が付きますが「縄」ってなんだよってなるかと思います。ここに「琉球」という王国名がからむとややこしくなってきますね。
そこで今回は、「沖縄」の由来を探っていきます。サブで「琉球」の名前の由来についても触れていきますよ。
- 「沖縄」の由来:島民が島または島の一部を指すときに使う「ウチナー」から
- 様々な歴史的文献で違う字が当てられている
- 「琉球」の由来:中国側の呼び名から
今回も楽しく解説していきますよ~
沖縄の由来:「ウチナー」から
沖縄の由来・語源は明らかになっていません。しかし、沖縄は島民が島または島の一部指す際に使う「ウチナー」という呼び方が転じてできたとされています。
・・・肝心のそのウチナーの由来がわかっていないのです。
定説ではありませんが、以下のような由来があるとされています。
- 沖・魚場(なわ):沖にある漁場
- 沖・場(なわ):沖にある場所
- 置・(釣り)縄:釣り縄を置いた場所
仮にこれらの説が正しいとすれば、「オキナワ」の発音がなまって「ウチナー」となったのでしょう。
事実、沖縄は周囲が海ゆえに、古くから漁業が盛んで、沖縄の食文化を支えてきました。これらの由来は定説ではありませんが、ウチナーが漁業にまつわる由来であっても不自然ではないでしょう。
古くは「阿児奈波」「倭急拿・倭的拿」などと呼ばれた
「沖縄」の名称が登場する現存最古の書物は、『唐大和上東征伝』(779年)とされています。
この書物は、鑑真(がんじん)が日本に僧侶の規範「戒律(かいりつ)」を伝えようと渡来した際の顛末をつづった書物です。
この書物では、鑑真は日本に渡来する航海の途中で「ある島」に漂着したと記されています。この漂着した島こそが「阿児奈波(あこなは)島」と記されています。
その後も、中国の冊封使(さくほうし/隣国を支配するために送られた使い)が沖縄本島のことを「倭急拿・倭的拿」「悪鬼納」と記録しています。どれも「ウチナー」の発音に漢字を当てたものという説が有力です。
また、沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』(編さん、1531~1623年)では現在の発音「おきなわ」が初めて登場します。文献上に現在の「沖縄」の当て字が登場したのは江戸時代になってからで、幕府の重鎮・新井白石が記した『南嶋志』(1719年)でした。
いろんな文献に名前が記されていた沖縄。しかし、由来についてはよくわかってません。
琉球の由来:中国側の呼び名説
「琉球」の由来についても、残念ながら詳しいことは分かっていません。ただし、この名称は中国由来のもので、中国から見て台湾や沖縄本島のあたりを指す名称という説があります。
沖縄本島を指すのか、台湾を指すのか、その両方を指すのかは不明です。
琉球の名称は、中国隋時代の歴史を記した『隋書』(656年)が初出で、「琉求」という字が当てられていました。その後も中国の史書に度々出現します。
- 留球
- 留求
- 留仇
- 流鬼(りゅうき)
- 夷邪久(いやく)
- 邪久(やく)
様々な名称がありますが、これらはすべて中国側の呼び名となっています。琉球王国の成立は15世紀ですので、琉球王国が誕生する前からこの「琉球」の名称が存在していたのです。
それでは、なぜ中国側の資料にこんなに記録が残っているのか。その理由は琉球が中国の配下となったためです。
琉球、明と冊封関係を結び、明の配下へ
沖縄本島では、12世紀頃に農耕が盛んになります。やがては集落が生まれ、沖縄本島の各地で「按司(あじ)」と呼ばれる有力者が現れます。この頃に誕生したのが有力者の居城「グスク」です。
そして今度は、按司を統率する「世の主(よのぬし)」が登場します。勢力争いの末、1429年に佐敷(さしき)の按司・尚巴志(しょうはし)が島内の3つの勢力を統一しました。
沖縄を統一した尚巴志は島内唯一の「王」となり、明の皇帝から「冊封(さくほう)」を受けます。冊封とは、古代中国の皇帝が他国の王を臣下に加えることです。
一度冊封を結ぶと、中国の王朝に朝貢(ちょうこう)を献上しなければいけません。しかし、その代わりに、中国に攻められる心配はなくなります。中国との交易も許可され、莫大な利益を得ることが可能でした。
この冊封により、王国は「琉球」の王国名を賜り、琉球王国は東南アジアと積極的に貿易を行うようになります。こうして、琉球文化の基礎が作り上げられていきました。
- 三味線
- 泡盛
- 紅型(びんがた)
現在も沖縄本島に残るこれらの文化は貿易によってもたらされたものとされています。
まとめ:詳しい由来はわかってない
残念ながら、現段階では詳しい由来については、いまだ解明されていません。それでも、「ウチナー」「琉球」と呼ばれてきた歴史があることは確かです。その歴史についておさらいしましょう。
- 琉球の名は『隋書』(656年)の「琉求」が初出
- 「阿児奈波(あこなは)」が『唐大和上東征伝』(779年)で登場
- 1429年に尚巴志(しょうはし)が島内を統一し、明の冊封で琉球王国が成立
- 冊封使が島民が沖縄本島を「倭急拿・倭的拿」「悪鬼納」(ウチナー)と呼んでいたことを記録
- 現在の「沖縄」の当て字が登場したのは江戸時代の『南嶋志』
時系列順に並べるとこうなります。
琉球王国が成立しても、島民は自分たちが住む沖縄本島のことを「ウチナー」と呼んでいたことが分かりますね。
ウチナーは島民にとって大切な呼び名だったことは明らかです。
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