神奈川の真の由来とは!「川」に由来する説が有力?神奈川開港の裏側

地名

 

「神奈川」は「神奈川県」と今でこそ県名となりましたが、初めは小さな郷(さと)の地名に過ぎませんでした。
「神奈川」がどのような由来で、なぜ県名になれたのか、今回はそのあたりを楽しく解説していきます。

 

  • 神奈川の由来:「上無川(かみなしがわ)」「金川(かねかわ)」「韓川(かんめかわ・かんかわ)」「カマ(水によって浸食された)」など諸説あり
  • 神奈川は鎌倉時代の頃から栄えた
  • 江戸時代に入ると、「神奈川宿」としてさらに発展した
  • 日本開国!横浜港が開港

 

それでは詳しく見ていきましょう。

スポンサーリンク

神奈川の由来:諸説あるが、「川」に関係している

 

「神奈川」は元々、「神奈川宿(現在の横浜市神奈川区・横浜市中心部北寄)」周辺を指す地名でした。
この「神奈川」の由来には諸説があります。

 

  • この地域に水量が少ないためか、上流が分からない川「上無川(かみなしがわ)」が流れており、それが訛った説
  • この地域を流れる帷子川(かたびらがわ)には酸化鉄多く含まれており、水面を赤っぽく染め上げるため「金川(かねかわ)」と呼ばれ、それが訛った説
  • この地域に大陸系の民族が住んでいたため、「韓川(かんめかわ・かんかわ)」と呼ばれたのが訛った説
  • 「かな」は「カマ(水によって浸食された)」が転じたとする説

 

どの説の根拠も決定打に欠けており、どれも一概に正しいとは言えません。

 

 

SAITO
SAITO

しかし、どの説も「川」に由来することは確かですな。

 

由来話:「神奈河郷」と「神奈河湊」

 

歴史上、「神奈川」の名前が初めて記録されているのが、鎌倉の鶴岡八幡宮に伝来する『鶴岡八幡宮文書』です。

この中に記載されている命令文書の中に「神奈河郷」(かながわごう)という名前があります。この命令は鎌倉幕府第8代執権・北条時宗(ときむね)が1266年(文永3年)に下したものです。

 

鎌倉時代の中期頃、神奈川周辺は鎌倉にある鶴岡八幡宮の領地でした。
鶴岡八幡宮は鎌倉幕府より庇護を受けていたとされます。

 

そのためか、時宗は鶴岡八幡宮領であるこの神奈河郷の地の役夫工米(やぶくまい/朝廷によって課された臨時課税)を免除しています。

また、神奈河郷には「神奈河湊」(かながわみなと)と呼ばれる港がありました。

14世紀末頃には、帆別銭(ほべつせん/湾岸を使用する船舶に課された通行税)が毎月一定額が納められていたと記録されており、神奈河湊はそこそこ大きな規模を誇っていたと考えられています。

由来話:栄えた「神奈川宿」にはペリーとの交渉の場に!

 

神奈河郷は元々、旅人の宿泊や移動に必要な人や馬を手配しておいた宿場「宿駅」(しゅくえき)でした。1601年(慶長6年)には、江戸時代の五街道の一つ「東海道」の宿駅に指定されます。

 

その後、西にある青木町が加わり「神奈川宿」となりました。

 

 

SAITO
SAITO

古くより交通の要所として栄えていたわけですな。

 

その後も「神奈川宿」は宿場町としての繁栄を極め、1803年(享和3年)には旅籠屋(はたごや/宿泊施設)が64軒あったとされています。

また、神奈川湊も諸国の船が停船する重要な港とされ、同時期には船舶関連の事業を行う廻船問屋(かいせんどんや)10軒と仲買12軒がありました。

 

こうして栄えていった神奈川宿は、ペリーが1854年(嘉永7年)に再度来航した際には国賓を迎えるための場所となります。宿場町にはペリーらとの交渉の場を設けられました。

 

この間、かの黒船は神奈川湊に2ヶ月程停泊していたとされています。

 

由来話:開国後、「神奈川」が県名になるまで

 

1858年(安政5年)には日米修好通商条約が締結し、鎖国体制は終焉、日本はついに開国しました。この時、アメリカ側は幕府に対して神奈川湊の開港を要求します。

しかし、神奈川湊・神奈川宿は国内の商業・交通の要所で、東海道の宿駅と重要な地域でした。幕府は神奈川湊の開港を避けようとします。

 

そこで当時の横浜湾全域を「神奈川」と意図的に改称し、当時港町として新たに整備していた「横浜村」の方を代わりに開港させようと交渉を行いました。この交渉が成功し、横浜村が「神奈川の港」として繁栄の一途をたどります。

 

 

 

SAITO
SAITO

「栄えている神奈川宿を牛耳られてしまうよりも、横浜村を開港させた方がマシじゃね?」という幕府の判断でしょう。

 

建前では「神奈川開港」ですが、実際は「横浜村の横浜港開港」だったのです。こうして「神奈川」の地名が指す範囲は「神奈川宿」より広範囲となりました。

1871年(明治4年)に廃藩置県が実施されると、「神奈川県」が誕生します。その後、神奈川県の県域は調整され、1876年(明治9年)頃には現在の神奈川県の形が完成したとされています。

 

整理

 

  • 神奈川の由来:「上無川(かみなしがわ)」「金川(かねかわ)」「韓川(かんめかわ・かんかわ)」「カマ(水によって浸食された)」など諸説あり
  • 神奈川は鎌倉時代の頃から「神奈河郷」「神奈河湊」として栄えた
  • 江戸時代に入ると、五街道の一つ・東海道の宿駅の一つになり、「神奈川宿」としてさらに発展した
  • ペリー黒船来航後、幕府は神奈川湊ではなく、横浜港を「神奈川の港」として開港

 

SAITO
SAITO

でも、いつの間に「河」の字が「川」になったのでしょうか・・・。そのあたりを合わせて、神奈川の由来についてはもう少し調べる余地がありますね。

 

地名
スポンサーリンク
シェア(アウトプットして記憶に残そう!)
SAITOをフォローする
由来タイム
タイトルとURLをコピーしました