こんにちは。由来系ライターのSAITOです。前置きは良いから、早く埼玉の由来を知りたいですよね。
埼玉の由来はこちらです。
- 「埼玉」の由来:行田市の前玉(さきたま)神社から
- 前玉神社がある地が「前玉郡(さきたまのこおり)」となり、埼玉(さいたま)へと読み方が変わった
- 「埼玉県」の命名の経緯は、埼玉郡が広かったため
今回はこのあたりを詳しく解説していきます。
「埼玉」の由来:前玉(さきたま)神社から
「埼玉」の県名は、埼玉県行田(ぎょうだ)市にある「前玉(さきたま)神社」に由来するものです。
現在では、「縁結び」のご利益がある有名な神社であり、参拝する方が増えているとされています。
前玉神社に何か由来が隠されているのでは・・・。早速調べていきます。
前玉神社は約1500年前にできた
社伝によると、この前玉神社の建立は、大和朝廷の天皇・安閑(あんかん)天皇や宣化(せんか)天皇らが生きた西暦400年代後半~500年代後半とされています。
実に約1500年の歴史を持つ由緒正しい神社です。つまり、埼玉の由来となった「前玉」は約1500年前にはすでに誕生していたとなります。
平安時代の法典『延喜式』(927年)には、前玉神社が「幸魂(さいわいのみたま)神社」として所載されています。前玉神社のように延喜式に載った神社は「式内社(しきないしゃ)」とも呼ばれます。
前玉神社は古墳の上に建てられている
この前玉神社は、「さきたま古墳群」(埼玉県行田市)の東にある「浅間塚(せんげんづか)古墳」の上に建立されています。
現地の案内板には、7世紀前半頃に造られたとされていますが、詳しい経緯などは解明されていません。
「前玉」の由来に関係ありそうな情報は出てきませんでした。が、ここで疑問が・・・。「神社と古墳ってセットになるものなの?」
時系列的には、この古墳の方が前玉神社の建立より後に築造されているということになります。古墳の方が新しい。
実は「古墳の上に神社がある」という事例は他にもあります。その詳しい理由はわかっていません。
しかし、「古墳の意義が忘れられつつある時期での新しい信仰」と推測されている例もありました(著・森浩一『古墳と古代文化99の謎 : 巨大な墓づくりに、なぜ狂奔したか』産報 1976)。
このような考え方もあるため、前玉神社はこの古墳に眠る豪族を祀ったものともいわれています。
社伝には、「400年代後半~500年代後半」とありましたが、実際には神社の方が後で古墳が造られた7世紀前半頃に造られたのではないでしょうか。憶測でしかありませんが・・・。
「前玉」の由来は「幸魂」からという説
神社に祀られているのは、「前玉比売神」(サキタマヒメノミコト)と「前玉彦命」(サキタマヒコノミコト)の二柱となっています。
「恋愛成就」「夫婦円満」「縁結び」といったご利益があるとされる理由は、このように女神「前玉比売神」と男神「前玉彦命」を祀っているためです。
この「前玉」の由来を「幸魂(さきみたま)」としている説があります。「幸魂」とは、人を守り、幸福を与える神の霊魂のことです。
つまり、この説が正しければ、前玉神社が祀っているのは「幸運の神様」ということになります。
幸せの神様なんてロマンチックですな・・・。「縁結びの地」の根拠としても、良い地域資源なのではないでしょうか。
前玉「幸魂」説以外の諸説
「前玉」の由来には「幸魂」説以外にもあり・・・
- 武歳国多摩郡の先で「さきたま(先多摩)」
- 前にたま(湿地の意)があるため「さきたま(先・湿地)」
・・・このような説もあります。
今のところ「幸魂」説を含めて確証はありませんが、どの説も興味深い説です。
地名「前玉郡」が誕生
西暦700年代には、前玉神社にあやかり、神社のあるこの地域一帯が「前玉郡(さきたまのこおり)」と呼ばれるようになりました。
この「前玉郡」という地名は奈良時代の『正倉院文書』の戸籍を記した文章(726年・神亀3年)に記されているとされています。
また、この前玉郡の地を詠んだとされる歌が、奈良時代末期の和歌集『万葉集』にあります。
- 「小崎沼」を詠った一首の出だし:「佐吉多万能(さきたまの)・・・」
- 「埼玉の津」を詠った一首の出だし:「前玉之(さきたまの)・・・」
この地が「さきたま」と呼ばれていたことが分かります。
「さきたま」から「さいたま」へ
平安時代中期(931~938年)頃に作られた辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)には、次のような地名が記録されています。
- 「佐伊太末」
- 「佐伊太萬」
どちらも読み方は「さいたま」とされ、前玉の地を指すとされています。
つまり、現在の「さいたま」読みはこの辞書が作られた平安時代中期(931~938年)頃にはすでに誕生していたのです。
でも何で「さいたま」なの?となると思います。
「さきたま」が「さいたま」となった原因は「イ音便」といわれています。
「イ音便」とは、「キ」「ギ」「シ」「リ」の子音であるK,G,S,Rが脱落し、「イ」の音になる現象のことです。これは平安時代に入ってから見られる現象とされています。
奈良までは「さきたま」(『万葉集』)平安からはイ音便で「さいたま」(『和名類聚抄』)にとなったと考えられます。
そして徐々に「さいたま」の読み方の方が浸透して、今に至るということです。
当て字「埼玉」の誕生は平安時代以前
現在の「埼玉」の当て字も『倭名類聚抄』に「埼玉郡」としてすでに登場しています。つまり、埼玉の当て字は平安時代には存在していたのです。
本来「埼」は「さき」と読み、「さい」とは読みません。
平安時代に「埼玉(さきたま)郡」で辞書『倭名類聚抄』に登録したけど、「イ音便」で「埼玉(さいたま)郡」となってしまったのでしょう。
由来話:「埼玉」が県名になるまで
江戸時代末期の武蔵国の郷土誌『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)には「埼玉郡」と「埼玉村」の名前が登場します。
当時の埼玉郡は広い範囲を指していました。
オレンジ色が江戸時代頃の埼玉郡です。
小さく水色の丸で囲んだ部分が、前玉(さきたま)神社のある埼玉村(現在の行田市大字埼玉)となります。
1871年(明治4年)には、廃藩置県が施行されますが、あくまで暫定的だったため、わずか半年足らずで調整が入りました。
この調整で浦和県・岩槻県・忍県が統合してできたのが、「旧埼玉県」です。「旧埼玉県」の県域は、現在の埼玉県の東半分でした。
その県域の大半を旧埼玉郡が占めていたため、県名を「埼玉」としたのです。「埼玉」の県名はこの時誕生します。
埼玉県庁は当初、旧埼玉郡の中心にあった岩槻に置かれる予定でした。しかし、視察の結果、岩槻は県庁設置に適していないとして、埼玉県庁は浦和に設置されています。
調整を経て、1876年(明治9年)に現在の埼玉県となりました。
まとめ:すべては前玉神社から
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございます。
今回した内容を整理していきます。
- 「埼玉」の由来:行田市の前玉(さきたま)神社から
- 「前玉」自体の由来は「幸魂(さきみのたま)」「先多摩(さきたま)」「先・湿地(さき・たま)」など諸説あり
- 前玉神社がある地(現在の行田市大字埼玉)を前玉郡(さきたまのこおり)とした
- 前玉(さきたま)から埼玉(さいたま)となった
- 廃藩置県後、「埼玉県」の命名の経緯は、埼玉郡が広かったため
「埼玉」の県名の由来となった前玉神社は、約1500年以上の歴史があります。「東京」の命名はたかだか百数十年年前なので、歴史の差が明らかですね。
「ダ埼玉」なんて言うものなら、1000年以上の歴史を持つ由緒正しき前玉神社の御神体に怒られてしまいますのでご注意ください。