関東と関西の意味|「関」の東西は「ある関所」からみた位置関係

地名

 

こんにちは。由来系ライターのSAITOです。

 

「関ってなんぞ」「よくよく考えたらよく分からん」と気になる方も多いかもしれませんが、「関」はタイトルの通り、関所のことです。

「関東」と「関西」の名称は「ある関所」を指しており、2つの名称の由来となりました。
まずは、そのことを5秒で解説します。

 

  • 「関東」の由来:壬申の乱(672年)時に、都を守るために設置した「三関(さんげん)の東側」に由来
  • 今の関東地方の形が誕生したのは、幕府が関東を支配するようになってから
  • 「関西」は明治以降に関東に対する呼び名として誕生
  • 「関東・関西」の語源自体は、古代中国で使用されていた呼び名に影響

 

それでは、詳しく見ていきましょう。

 

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関東の由来:都を守るための3つの関所から

 

現在からさかのぼること、およそ1400年前。
672年に古代最大級の内乱「壬申の乱(じんしんのらん)」が発生します。

この壬申の乱の際に、都を守るために設置されたのが次の3つの関所です。

 

  • 不破関(ふわのせき):現在の岐阜県不破郡関ヶ原町
  • 鈴鹿関(すずかのせき):現在の三重県亀山市関町新所(説)
  • 愛発関(あらちのせき):不明/後に逢坂関(おうさかのせき・あふさかのせき)がその役目を負う

 

この3つの関所は「三関」と呼ばれ、この三関より東側の地域を「関東」と呼んだのです。

 

位置関係を図解にしてみます。

 

 

守るべき「都」は、現在の奈良県明日香村にある「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや・あすかきよみがはらのみや)」だったとされています(オレンジ色の丸)。

三関の位置について、不破関以外は、おおよその位置に過ぎません。
どこにあったか正確な位置までは分かっていないためです。

 

SAITO
SAITO

しかしながら、関東の位置が視覚的に捉えることはできるとして、図にしました。

 

こうして都と三関の位置関係を見ると、都を守るために設置されたということが明らかです。

この三関の影響力は強いとされ、関所で人の往来が制限されたために東日本と西日本で文化・風習が異なると考える方もいます。

 

今の「関東」地方ができあがるまで

 

12世紀末に鎌倉幕府が成立すると「関東」は幕府の直轄地となります。この頃より、現在の関東地方の形が定まり始めました。
そして、14世紀中頃に室町幕府が成立すると、以下の10カ国が主に「関東」と呼ばれるようになります。

 

  • 相模国
  • 武蔵国
  • 安房国
  • 上総国
  • 下総国
  • 常陸国
  • 上野国
  • 下野国
  • 伊豆国
  • 甲斐国

 

以下のような地域を指します。

 

 

江戸時代に入ると、幕府のある江戸を中心に現在の関東地方の形になります。

 

 

 

箱根峠・小仏峠・碓氷(うすい)峠は江戸を守るための関所が置かれていました。
江戸時代以降は、この峠以東のエリアが「関東」と呼ばれ、明治以降も「関東地方」として定着しました。

 

「関西」誕生は意外と最近(明治以降)

 

SAITO
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大半が近畿地方に属す府県ですが、三重県だけ仲間外れである理由は、県域の大半が三関の一つ「鈴鹿関」の東側であるためと考えられます。滋賀県は「不破関」の西側なので含まれているのでしょう。

 

「関東」という呼び方は、「畿内(きない/京付近)」に住む人々が、7世紀にできた「三関」の東側の地域を呼ぶときに使っていました。

 

しかし、当時はまだ「関西」という呼び方は存在していません。
畿内に住む人々も、「関西」という呼び名は使っていませんでした。

 

SAITO
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では、畿内以外の人はどうか。

 

畿内に住んでいない人々が、畿内の地域を呼ぶときは「上方(かみかた)」を使っていました。
「関西」という呼び方が誕生したのは、政府が京都から江戸へと移された明治以降とされています。

 

「関東・関西」自体の語源は古代中国

 

「関西・関東」の語源は、中国の2つの関所に由来します。

 

  • 山海関(さんかいかん/河北省秦皇島市山海関区)
  • 函谷関(かんこくかん/河南省北西部)

 

山海関から東を「関東」、函谷関から西を「関西」、山海関と函谷関の間を「関中」と呼びました。
これらの呼び名は、秦(前771年)~唐(907年)の時代に誕生したとされています。

図で表すと以下のようになるかと思います。

 

 

 

SAITO
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「関東」「関西」「関中」がどのあたりを指すのか定かではなかったので、おおよその範囲を囲いました。正確な位置ではないのでご注意ください。

 

「関東」や「関西」の呼び名は関所を起点とするこの呼び方にならったとされています。

 

第2次世界大戦中、「関東軍」と呼ばれた日本の軍が存在しましたよね。彼らは元々「関東州」と南満州鉄道の付属地の守備・警護を任されていた守備隊でした。関東軍の由来はこの関東州です。

関東州は、山海関の東側に位置する満州全体を指していたとされています。関東に駐在する日本の軍隊を「関東軍」と呼んだのです。

 

まとめ:関東と関西は「関所」を起点とした呼び名

 

  • 「関東」の由来:都を守るために設置した「三関の東側」に由来
  • 「関西」は7世紀に呼ばれるようになった「関東」よりもはるかに新しい呼び名
  • 「関東・関西」の語源自体は、古代中国で使用されていた呼び名に影響

 

このように、古代中国に由来する関東と関西の呼び名は、非常に歴史のあるものです。
歴史を噛みしめながら呼べると良いかもしれませんね。

 

 

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