【キッコーマンの由来】社名の意味を簡単にご紹介

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SAITO
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こんにちは。由来系ライターのSAITOです。

 

今回のテーマは世界的醤油ブランド「キッコーマン」の由来です。

 

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キッコーマンの由来:千葉亀甲山・香取神宮の宝から

 

キッコーマンは元々「亀甲萬」の字を当てていました。

 

「亀甲萬」は、千葉県香取市亀甲山「香取神宮」の宝にちなんだ名前とされます。その宝は「三盛亀甲紋松鶴鏡(みつもりきっこうもんまつつるきょう)」と呼ばれる古代の神聖な鏡です。

 

そして、この鏡の裏側にある「亀甲紋様」を図にして、「鶴は千年亀は万年」という故事から真ん中に「萬(万)」の字を入れました。こうして「亀甲萬」の名前と印が誕生したとされています。

 

SAITO
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こうして、有名なキッコーマンのロゴ「六角形に『萬』の字」が完成したのです。

 

 

六角形の模様は縁起が良い

 

キッコーマンのロゴは六角形ですが、この六角形のことを「亀甲紋」と呼びます。

 

「亀甲紋」

 

この亀甲紋は文字通り、「亀」の甲羅に関係しています

 

日本では古来から、亀は「長寿」として縁起が良い動物とされ、甲羅を焼いて甲羅の割れ方で神様の意向を占っていました

 

そのため、六方に縁起が良い亀の恩恵が行き届くように願いを込めて、六角を尖らせた形の紋が完成したとされます。縁起の良いマークとして、家紋や衣類の模様に用いられてきました。

 

ジトメちゃん
ジトメちゃん

キッコーマンのロゴマークもその一つなんだね。

 

キッコーマンの「濃い」歴史

 

ここからは日本が誇るキッコーマンの誕生について解説していきます。

 

キッコーマンの始まり

 

千葉・野田は現在でも日本有数の醤油生産地です。

 

関東地方では、1558~1570年(永禄年間)頃に千葉(下総)の野田・市川・銚子などで醤油作りが始まり江戸時代になると本格的に作られるようになりました

 

特に野田は「水運の要」とされ、大豆・小麦・塩などが水運によって運ばれて来るうえに、江戸の人口増で食料のニーズはあったため、全国一の醤油生産地となったとされます。

 

「キッコーマンの祖」である高梨兵左衛門と茂木七左衞門も当時、野田周辺で醤油作りなどを営んでいたとされます。

 

SAITO
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茂木家には、大坂夏の陣(1615年)で戦死した豊臣軍の家臣の未亡人がこの地で醤油作りを始めたという伝承もあります。

ジトメちゃん
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大坂夏の陣で戦死した豊臣軍の家臣の息子が江戸に千歳飴を伝えたという話もあったね。

 

 

本印「キッコーマン」誕生の真実

 

「亀甲萬」の名前と本印は、1820年(文政3年)に醤油醸造家・茂木佐平治(もぎさへいじ/4代目)に伝わったものです。

 

この名前と本印を茂木家に伝えたのは、武蔵国皿沼村(現・埼玉県吉川市)のしょうゆ売りだった「鈴木万平」なる人物とされます。つまり、彼が最初に「亀甲萬」を発案した人物となります。

 

ジトメちゃん
ジトメちゃん

キッコーマンの人が作ったわけじゃないのね。

SAITO
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そうです。鈴木万平から譲られたものとされています。

 

鈴木万平は香取神宮から「亀甲」、「亀は万年」の「万(萬)」にあやかり、「亀甲萬」を完成させます。「亀甲萬」の誕生は今から約200年前、鈴木万平から伝わった印だったのです。

 

「野田醤油」の誕生

 

野田は醤油の生産地というだけに、様々な醤油醸造家が存在し、同業のライバルとして競い合っていました

 

中でも高品質な醤油を作っていたのが茂木一族・高梨一族です。その人気も確かなもので、幕末には野田産の醤油の実に8割程度が茂木一族・高梨一族の醤油でした。

 

しかし、大正時代に入ると日本は不況に突入します

 

その不況の中、同族同士の争いを避け、経営の近代化を進める目的で、野田の醤油醸造家である8家が合体し、1917年(大正6年)に「野田醤油株式会社」を設立します。

 

8家とは以下の通りです。

 

  • 高梨兵左衛門家(ジョウジョウ)
  • 茂木七左衛門家(クシガタ)
  • 茂木佐平治家(キッコーマン)
  • 茂木七郎右衛門家(キハク)
  • 茂木房五郎家(ミナカミ)
  • 茂木勇右衛門家(フジノイッサン)
  • 茂木啓三郎家(キッコーホマレ)
  • 堀切紋二郎家(フンドーマンジョウ)

※かっこ内は本印(生産者のロゴマークのようなもの)

 

SAITO
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現在のキッコーマン印は元々「茂木佐平治家」の本印(ロゴ)だったわけですが、上記の通り、他の7家にもそれぞれの本印がありました。

 

本印は「キッコーマン」に統一された

 

1917年の野田醤油設立により、本印は六角形に萬の字の「キッコーマン」に統一されました。

 

しかし、設立後も由緒正しい高梨兵左衛門家(本印:ジョウジョウ)茂木七郎右衛門家(キハク)は生産を続けていました。

 

そのため、野田醤油にはキッコーマン印と合わせて3つの本印があったのです。

 

しかし、野田醤油の広告で宣伝する際に、野田醤油だけで3つの本印があると、消費者は混乱してしまいます。そこで1927年(昭和2年)に東京に向けた商品のみ「キッコーマン」に統一しました。

 

さらに、1940年(昭和15年)に「一社一規格一マーク」の方針が打ち出されると、正式に「キッコーマン」に統一されます。

 

様々な関連事業を手がけ、関連子会社を増やしながら、1980年(昭和55年)の第64回の創立記念日を期に現在の「キッコーマン株式会社」に社名変更しました。

 

キッコーマンの不思議な社長選出方法

 

キッコーマン(野田醤油)の社長の選出方法が特徴的で、8つの家の出身者から人格・スキル・学歴などを元に選出されます。

 

例えば、

 

  • 初代社長:6代目「茂木七郎右衛門」(任期:1917~1929 年)
  • 2代社長:11 代目「茂木七左衛門」(1929~1943年)
  • 3代社長:9代目「茂木佐平治」(1943~46 年)

 

・・・というように、社長に就任しているのは茂木一族出身のエリートです。

 

野田醤油設立時の8つの家には、茂木一族以外にも高梨家・堀切家も含まれますが、みな重役に就任しています

 

一族の中では、早いうちに次期経営陣メンバーが決められ、各一族が家督や社長を継ぐような人間を熱心に教育し、優秀な人材を会社に送り込むという「出世コース」が存在しました。

 

 

SAITO
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このような経営の方針を「同族経営」と呼び、会社の重要な決定の際は血縁関係を重要視しています。

ジトメちゃん
ジトメちゃん

一族で会社を守ってきたんだね。

 

しかし、血縁関係がなくても優れた人材がいた場合には、重役の候補にするケースもあります。

 

そのような人物がいた場合、一族に「養子」として迎え入れ、一族の一員として重役に就かせることもありました。

 

アメリカ進出を推進し、キッコーマンを世界的なブランドに育て上げた6代社長・2代目「茂木啓三郎」(任期:1962~1974年)もそうした人物の一人でした。

 

キッコーマンはその後、アメリカに進出してアメリカ人ニーズに沿った醤油を作り、現地で野田の味を再現に成功します。「日本にルーツを持つ企業が成功した」としてハーバード大学の事例研究対象となるなど「アメリカ進出の好例」となりました。

 

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