こんにちは。由来系ライターのSAITOです。
今回のテーマは、日本のカジュアル衣料大手「ユニクロ」の由来・語源と歴史です。
ユニクロの由来:1号店の略称
「ユニクロ」の社名は、1984年(昭和59年)、広島市に開かれた1号店の店名「ユニーク・クロージング・ウエアハウス(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)」の略称に由来します。
この「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」は、「唯一無二の洋服倉庫」などと訳し、「他の店では買えない衣類を売るお店」という意味を持つとされています。
ユニクロの歴史
現在、世界に2000店舗以上を数えるユニクロのルーツを見ていきましょう。
ユニクロのルーツは山口県宇部(うべ)市
ユニクロのルーツは、山口県宇部市にあった「メンズショップ小郡商事(おごおりしょうじ)」です。
メンズショップ小郡商事は、終戦によって1949年(昭和24年)に満州から帰ってきた柳井等(やないひとし)が山口県山口市小郡大正町で開業した紳士服店でした。
その後、1963年(昭和38年)に、資本金500万円で「小郡商事株式会社」を設立し、法人化します。
1972年(昭和47年)、創業者・柳井等の長男である柳井正(やないただし)が入社します。1984年(昭和59年)に彼が社長に就任し、「ユニクロ」第1号店を広島市に出店します(袋町店)。
これがさっきの「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」だね。
残念ながら、社名の由来になった第1号店は1991年(平成3年)に閉店してしまいました。
「郊外にユニクロ」のイメージのワケ
現在、ユニクロの店舗は都心にも多いですが、元々は郊外に集中していました。ゆえに、ユニクロといえば「郊外のお店」というイメージを持つ方も多いです。
1985年(昭和60年)、ユニクロは山口県下関市の郊外に初の「ロードサイド店」を開きました(山の田店)。
「ロードサイド店」とは、通行量の多い幹線道路沿いに出店された店舗のことを指します。ロードサイド店のターゲットは、郊外に住み、移動に自動車・バイクなどを利用する方です。
1960年代以降、日本国内では中心市街地よりも郊外の人口が急増するケースが増えたため、郊外を中心として幹線道路沿いにお店を構える企業が増えました。ユニクロもそのような企業の一つです。
田舎でも「イオン周辺だけなぜか栄えてる」という現象は、近年の企業がこのようなロードサイド店を出店する傾向があるためとされています。
結果、ユニクロのロードサイド店は成功を果たし、この下関市1号店が後のユニクロの店舗の「モデル」となっていきます。
このロードサイド1号店も1991年(平成3年)に閉店しています。
親会社「ファーストリテイリング」の由来
1991年(平成3年)、商号を「株式会社ファーストリテイリング」に変更しました。
この「ファーストリテイリング」は造語で、ファーストフード店の「素早く(Fast)」と「小売業(Retailing)」を組み合わせ、”迅速に商品を提供する小売業”という意味が込められています。
とにかく「安さ」を追求
90年代後半には日本は「デフレ」に突入し、物価が下落し始めます。デフレ時に給料額が上がるケースはまれだったため、消費者は支出に敏感になり、とにかく「お得な商品」に注目が集まりました。
その中でユニクロは、マクドナルドと並び「価格破壊の象徴」と呼ばれるほど「安売り」を行う戦略を展開。デフレでも消費者の心をしっかりつかみ、圧倒的な支持によって急成長を果たしました。
1998年(平成10年)に首都進出(原宿店)を果たし、大量生産可能で軽量、低価格、保温性が高い「フリース」素材の衣類を販売開始を開始しました。
当時は「フリース」といえば「アウトドアブランドが提供する1万円以上の高価なもの」というイメージを持つ方が多い時代。そのような時代にユニクロは「フリース1,900円」として売り始めたのです。
「フリース1,900円」は話題になったみたいだね。
同時期にはシンプルなデザインと豊富な色合いのカジュアル服を取り扱うブランドという「ユニクロ」のイメージが定着したとされます。
2005年(平成17年)に、ユニクロはさらに低価格を目指す「ジーユー(GU)」を展開し、第1号店がダイエー南行徳店内(現・イオン南行徳店/千葉県市川市)に開店します。
こうしてユニクロ=安いという印象が作られていきました。
日本が誇る「世界のユニクロ」
ユニクロは2001年(平成13年)のロンドンへの初海外出店を皮切りに、積極的に海外展開を行いました。
現在では、
- イギリス
- 中国
- 韓国
- 香港
- アメリカ
- フランス
- シンガポール
- 台湾
- ロシア
- タイ
- マレーシア
- フィリピン
・・・などに出店しています。
世界中の衣料ブランドを次々と買収して傘下に置き、国内827店舗、国外1241店舗、計2068店舗を抱える巨大ブランドとなりました(2018年8月時点)。
現在では、数ある衣料品メーカーの中でも世界第3位の売上を誇る世界的企業となっています(2019年5月31日時点)。