こんにちは。由来系ライターのSAITOです。
今回のテーマは、ドイツの世界的スポーツ用品メーカー「アディダス(Adidas)」の由来と歴史です。
アディダスの由来:創業者の名前から
アディダスの社名は、創業者アドルフ・ダスラーの愛称「アディ」と名字(ファミリーネーム)の「ダスラー」に由来します。
創業者のアディ・ダスラー、略して「アディダス」と覚えましょう。
アディダスの歴史
今日のアディダスになるまでどのような歴史があったのか見ていきましょう。
アディダスの誕生
ルドルフ・ダスラーと弟のアドルフ・ダスラーはドイツのある靴修理屋の息子でした。弟のアドルフは熱心なサッカー選手だったといわれています。
1920年、20歳のアドルフは母親の洗濯室を借りてスポーツシューズの生産を始めました。これがアディダスの第一歩です。
その4年後の1924年、アスリートに最高のシューズを届けるためにと、ドイツ・バイエルン州の小さな村に「ダスラー兄弟靴工場(Gebrüder Dassler Schuhfabrik)」を設けます。
1925年、ダスラー兄弟は特殊な釘が靴裏に打たれた革製の靴とスパイク付きの陸上競技用シューズ(スパイクシューズ)を開発しました。
彼らが作ったシューズを履いた選手は、1928年のアムステルダムオリンピックと1936年のベルリンオリンピックで金メダルを獲得しています。
こうしてアドルフの独特なデザインのシューズは世界から注目を集めました。
ダスラー兄弟、バズーカ砲を作る?
第2次世界大戦中(1939~1945)、ダスラー兄弟は「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ)」の一員として、対戦車バズーカ砲「パンツァーシュレック」の開発に協力しました。
戦後の1948年、ダスラー兄弟は意見の相違から、ダスラー兄弟靴工場を解散、ルドルフは「RUDA(後のプーマ)」を設立、アドルフは「アディダス」を設立しました。
「アディダス」として再出発
アディダスは、ドイツ・ヘルツォーゲンアウラハの小さな街で47名の従業員とともに再スタートします。
アディダスは1970年代に入ると、アメリカでトップアスリートのシューズとして売られるようになり、1972年のミュンヘンオリンピックでは「オフィシャルサプライヤー」となります。
オフィシャルサプライヤーとは、オリンピックなどのイベントを行う際、組織委員会や選手団などに物品を有償・無償で提供する代わりに、イベントのエンブレム・マスコットなどの使用許可を得た企業・団体のことです。
スポンサーはお金を援助するけど、オフィシャルサプライヤーはユニフォームや薬品、飲料水、計測器などモノの形で援助する、これが両者の違い。
その後、アドルフは1978年に亡くなりましたが、同年アメリカで現代のスポーツ用品産業を作り上げた一人として「Sporting Goods Industry Hall of Fame(スポーツ用品功労賞)」を受賞しています。
アディダス社の躍進
2004年、アディダスはアメリカ・アイオワ州のValley Apparel社を買収し、140以上の大学選手チームのスポーツ用品ライセンスを取得します。
翌年、スポーツ用品ブランド「リーボック社」を買収、アメリカで優位に立つと、ついにシューズ販売大手のナイキをライバルとして見据えるようになりました。
こうして世界的な企業となったアディダスですが、本社は現在もアディダス発祥の地「ドイツ・ヘルツォーゲンアウラハ」にあります。
アディダスのロゴの由来
アディダスのロゴは5種類あるので、それぞれ紹介していきます。
【トレフォイルロゴ】
トレフォイルロゴは、1972年登場の三つ葉のマークのロゴです。メダリストがかぶる月桂樹(げっけいじゅ)の冠がモチーフとなっており、現在では「復刻シリーズ」を中心に使用されています。
【パフォーマンスロゴ】
パフォーマンスロゴは、1991年登場の斜めの三本線で三角形を描いたマークです。
当初はアディダス最高機能品「ベスト・オブ・アディダス」にのみに使用されていたロゴでしたが、デザインが人気となり、1997年から他のアイテムでも使用されるようになりました。
【グローブロゴ】
グローブロゴは2002年に登場したロゴで、丸に三本線が入ったマークであり、スポーツウェアを中心に使用されています。
【アディダス・アドベンチャー】
1990年代初めにアディダスのアウトドア商品として日本で登場したブランドで、後にドイツでも使用されるようになりました。ロゴは文字だけで「adidas ADVENTURE」。
【リニアロゴ】
「adidas」の文字だけのロゴ。