こんにちは。由来系ライターのSAITOです。
今回のテーマは「中国地方」となります。
今回のテーマは「中国地方」となります。
この記事の要旨を5秒で解説すると・・・
- 由来:近国と遠国の中間の国、略して「中国」という説
- 諸説あり。でも「中間にある国」って意味で共通
- 「中国」(国)とは関係ない
・・・となります。
なぜこのような名前になってしまったのか、今回はその由来について解説します。
「中国」の名称が付けられた由来「中間だから」
794年に都が京に移ってから200年ほど。
平安時代中頃(10世紀頃)に「延喜式(えんぎしき)」と呼ばれる法典が作られました。
この法典では、朝廷が中央集権体制を確立させることを目的として、日本の地域を都(京)からの距離に応じて、以下の3つの名称を使って分類しています。
- 近国(きんごく)
- 中国(ちゅうごく)
- 遠国(おんごく・えんごく)
中でも「中国」は以下の図の地域を指しました。
黄緑ではなく、ワサビ色(明るめの緑色)の地域です。
京からしたら距離的に遠くもないけど、近くもないし、まあ中間くらいの国かなという意味です。
SAITO
ですが!これは一説に過ぎません。
中国地方の由来については、議論が交わされているテーマでもあります。
ほかにも、
- 延喜式にて、距離ではなく、国力に基づいた分類「大国・上国・中国・下国」から「中国」とした説
- 都と平安時代に九州に設置された役所「太宰府」(現在の福岡県太宰府市)の中間だったから「中国」とした説
- 日本神話に登場する神の世界と黄泉(よみ/あの世)の間「葦原中国(あしはらのなかつくに)」が存在したとされるため、「中国」とした説
など様々な説が存在します。
一概にどの説が正しいとは言えません。
しかし、いずれの説でも「何かと何かの中間にある(はざまにある)国」という意味で「中国」と付けられていることは明らかです。
国名の「中国」とは無関係
「あれ?中国って国が近いからなんじゃねえの?」って方もいるかと思います。
しかし、「中国」という略称が登場したのは、1912年に中華民国が樹立されてからです。
一方、日本では1904年・明治37年にはすでに「中国地方」の区分が、国が発行する小学校の教科書で用いられていました。
つまり、日本の方が早く「中国」の名前を使っていたのです。
よって、この国名「中国」起源説は成立しません。
整理
- 由来:近国と遠国の中間の国、略して「中国」という説
- 諸説あり。でも「中間にある国」って意味で共通
- 「中国」(国)とは関係ない
諸説ありますが、何かと何かの間にあり、2つの間を往来する際には必ず通る国であることが分かります。
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