こんにちは。由来系ライターのSAITOです。
今回のテーマは正月の「雑煮」です。
「雑煮」は地方や家庭単位で異なる千差万別な料理。地域差が大きいテーマなので、共通部分を中心に由来を解説していきます。
雑煮の由来:供物を利用した雑多煮から
雑煮(雑煮餅)は、大晦日に神棚に供えた様々な供物(くもつ)を元旦に下げて、具材として一つの鍋に煮込んで食べた料理に由来します。
ゆえに、「雑」の字は様々な具材(供物)が雑多に入ったという文字通りの意味となります。
また、雑煮は「烹雑(ほうぞう)」とも呼ばれますが、「烹」には「煮る」という意味があり、雑煮と同じ由来を持つことが分かります。
餅の意味・由来:歯固めにルーツあり
雑煮に餅を入れる理由は「歯固め(はがため)」の名残とされています。
歯固めとは、元日に一年の健康と長寿を祈り、餅や栗や大根、カブ、するめ、獣肉など固い食べ物を食べて、歯の根を固める慣習です。
正月に出される餅料理の起源はこの歯固めにあり、雑煮もその派生の一つとされています。
角張った「角餅」は東日本に多く、「丸餅」は西日本に多いとされ、境目の中部地方は角餅と丸餅が混在しています。
昔、関東と関西の境目といわれたラインできっぱりと分かれてるんだよね。角餅と丸餅の境目のラインが、関東と関西の文化の境目とも言えるのかもしれない。
雑煮の具材の由来・いわれ
雑煮に入れる食材は、その地域で採れたものとされてきました。雑煮は「供物として神棚に供えられていたものを食材とした料理」でしたね。
ゆえに、各地方に残る雑煮の具材は、その地域で採れていた食材がそのまま反映されています。
雑煮が魚介類・野菜で作られている理由は「供物」として捧げたものに魚介類・野菜が多かったためということだね。
米が採れない地域は「餅なし正月」として、餅が入っていない雑煮がふるまわれていました。田んぼではなく畑で採れたそば(穀物)、里芋、豆腐などの畑作物がメインの具材となっています。
地域差があるので代表的な食材の由来を見ていきましょう。
青菜と鶏肉:菜鶏「名取り」
青菜と鶏肉を入れて、菜鶏(名取り/名を取る)雑煮としてふるまい、立身出世を願う地域があります。主に東京で関東に多いです。
また、菜鶏雑煮は味噌をつける(ミスをして評判を落とすの意)」を嫌い、すまし仕立てがほとんどとなります。
里芋:餅の代用
江戸時代までは「いも」と言えば「里芋」を指していたほど、里芋はメジャーな食物で具材でした。ゆえに、採れた里芋を年末に供物として、年が明けたら雑煮に入れるケースが多いとされます。
餅の代用として、里芋を利用していたこともありました。これは江戸時代以前、餅の原料である米の価格が高かったため、代用として里芋を用いた際の名残とされます。
江戸時代以降は餅の価格が安定し、餅がメインの雑煮が主流となりました。
また、「かしら芋」と呼ばれる大きな里芋のかたまりを入れる地域もあります。このかしら芋を食べるのは、家の長男とされており、人の先頭(かしら)に立って欲しいという願いが込められています。
かまぼこ:諸説あり
雑煮に入れられるかまぼこには、「紅白かまぼこ」が多いです。
紅白かまぼこは「紅」が魔除けで「白」が清さを表す縁起の良いものとされ、おせちにも採用されています。
紅白かまぼこの形が正月の「初日の出」に似ているという説もあります。
汁の味付け
味付けも地域ごとに異なります。
- 「越後雑煮」(新潟):塩鮭のだしをベースに鮭・イクラ・魚豆で子孫繁栄を祈った
- 「京雑煮」(京都):白味噌のだしで里芋をメインに丸く切った大根・ニンジンを入れた雑煮
- 「くるみだれ雑煮」(岩手):すまし仕立てで具たくさんの雑煮にぐるみだれに浸けたおいしい餅を頂ける一品
- 「かぶら(カブ)雑煮」(福井):赤味噌仕立てでかぶらを丸ごと入れた雑煮
- 「博多雑煮」(博多):ぶり、かつお菜、丸餅、トビウオなど具材の豪華なすまし仕立ての雑煮
他にも、牡蠣を使ったすまし仕立ての「牡蠣雑煮」(広島)やあん餅を使った「あん餅雑煮」(東京)すまし仕立てで角切りの野菜がたくさん入った「こづゆ」(福島)もあります。
「正月ぐらい華やかに」として砂糖を使った甘い料理がふるまわれる地域も多い。あん餅雑煮はその一例。
雑煮の歴史と正月に食べる理由
雑煮は、神事などが終わった後に神様に供えた供物を下げて、神事に参加した人々に料理として提供する「直来(なおらい)」にルーツを持ちます。
九州の方言で雑煮のことを「ノーライ」などと呼ぶ理由は、この「直来」の名残とされています。つまり、雑煮は元々、祭り終了後の慰労会で出された料理だったのです。
正月に「神事」とか「祭り」なんてしてたっけ?
お正月は1年の豊作を見守る「歳神様」を迎えるという大切な儀式を行っていました。雑煮はその際にふるまわれた料理だったのです。
古くは、人間の臓器を保養する料理とされ、「臓煮(ぞうに)」「保雑(ほうぞう)」などと呼ばれました。
室町時代(1336~1573年)頃には「雑煮」の単語が文献に見られるため、この頃にはすでに雑煮が食べられていたとされています。当時、雑煮は酒宴の席で儀礼的にふるまわれていました。
江戸時代に入ると、雑煮が一般に広まって家庭の味となり、現在に至ります。