こんにちは。SAITOです。
今回のテーマは、キク科の越年草「牛蒡(ごぼう)」の由来です。
難しい漢字を当てる「牛蒡」の由来を簡単にわかりやすく説明します。
牛蒡の由来:「牛の尾」から
「牛蒡」の名前は、牛蒡のひげ根が「牛の尾」に似ていることに由来するとされます。
どのくらい似てるのか牛蒡と牛の尻尾を比べてみましょう。
・・・まあ、言いたいことは大体わかります。
続いて「牛蒡」という漢字について。
- 「牛(ご)」:そのまま読めばウシだが、「呉音」では「ご」と読む/牛の尾
- 「蒡(ぼう)」:正確な由来は不明だが、「草の名前」とされる
2つ合わせて、「牛の尾に似た蒡(ぼう)という植物」ということになります。
牛蒡(ごぼう)以外にも、「うまふぶき」と呼ばれる場合や、「牛房」として「房(ふさ)」の字を当てる場合もあります。地方によっては「ごんぼ」「ごんぼう」などとも。
関西地方では、縁起の良いたたきごぼうとして「おせち料理」にも取り入れられています。
しかし、おせち料理のように食用に用いるのは、ほぼ日本だけであり、他国では「薬用」として用いるケースがほとんどです。
まじで?他の国では牛蒡食べないの?カルチャーショック。
ここで気になるのが「じゃあ逆になんで日本では食べてるの?」というポイント。日本の食用の歴史について探っていきましょう。
牛蒡の「おいしい」日本史
日本人は、他の民族に類を見ないほど「根菜」をたくさん食べる民族です。大根、カブ、蓮根などを積極的に食べてきました。
大根やカブを使った七草粥も根菜食として有名ですね。
それでは日本の牛蒡の歴史を見ていきましょう。
はっきりしない牛蒡のルーツ
牛蒡がいつから日本に存在したのか、実は定かではありません。
「平安時代頃に中国から薬用として伝来した」という説がある一方で、縄文時代の遺跡からも牛蒡の種が出土しています。
- 鳥浜遺跡/福井県三方町
- 三内丸山遺跡/青森県青森市
- 忍路土場(おしょろどば)遺跡/北海道小樽市
以上の縄文遺跡から牛蒡の種が出土しています。
牛蒡の始まりが縄文時代なのか平安時代なのかはっきりしてないのね。
平安時代頃に日本最古の「牛蒡」の記録
ルーツがはっきりしないので、文献上の歴史を見ていきましょう。
日本の歴史上、初めて「牛蒡」に関する記述が登場するのは898~901年頃に成立した漢和辞典『新撰字鏡』(しんせんじきょう)です。
『新撰字鏡』には「悪實(あくみ) 支太支須(きたきす)乃弥」とあり、この「支太支須(きたきす)」が牛蒡の古い名称とされています。
「牛蒡」自体の字が初めて登場したのは、931~938年頃に成立した辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』とされます。
この『倭名類聚抄』の「蔬菜(そさい/栽培作物)部」の「野菜類」に「牛蒡」の名前が登場します。つまり、931~938年(平安時代)頃には、すでに「野菜」として知られていたわけです。
牛蒡が栽培された始めたのは鎌倉時代
牛蒡が実際に栽培されていたのは、鎌倉時代(1185~1333年)頃とされます。
京都・東寺伝来の古文書『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』の1266年(文永3年)の記載に「牛房五十把」「山牛房卅本」と牛蒡の収穫量の明細が記されています。
「牛房五十把」は牛蒡50把(ぱ/1把は片手で握れる量・10把で1束)で「山牛房卅本」はヤマゴボウ30本を意味しています。
「これくらい採れてたよ」っていう明細があるということは、栽培されていたということ。
江戸時代に急増「牛蒡の種類」
江戸時代に入ると、様々な品種が生まれたとされます。
大浦ごぼう
千葉匝瑳(そうさ)市大浦地区原産。太くて短い牛蒡、とても柔らかく煮物に適しており、現代では高級料理の食材とされます。
沢野ごぼう
石川県七尾市原産。形は太長く、沢野婆谷神社の神主が取り寄せた京都の牛蒡の種を栽培したのが始まりであり、主に将軍家に献上されていました。
美東ごぼう
山口県美東町原産。赤い粘土質の土壌で栽培され、根が長いうえに、根の先端まで肉付きが良く、柔らかい食感と香りが特徴的で市場では高値が付きます。
滝野川ごぼう
特有の香りがあり、肉質には弾力があります。
1688~1704年(元禄年間)に栽培が始まったとされ、水はけが良い滝野川村(現在の北区滝野川)に住む鈴木源吾なる人物によって品種改良が行われました。
「良種」とされ、全国に広まった品種でもあり、現在日本で栽培されている品種の9割はこの滝野川ごぼうの系統であり、派生種とされています。
牛蒡の栄養
牛蒡の大部分は「イヌリン」「ヘミセルロース」と呼ばれる食物繊維で構成されています。牛蒡の独特の風味やゴリっとした歯ごたえは、これら食物繊維によるものです。
続いては、これらの効果・効能。
実家の母親が元管理栄養士なので国家資格の辞書などを借りて調べました・・・
- イヌリン:牛蒡の根の45%を占め、腸内環境改善、食後の緩やかな血糖値の上昇を促進するとされる
- ヘミセルロース:牛蒡の外側を構成する細胞壁で、便秘の改善などが期待されている
牛蒡はお通じの悩みを解消してくれる食べ物です。
牛蒡の雑学(トリビア)
牛蒡にまつわる雑学(トリビア)を集めました。
明日から自慢しましょう。
牛蒡は供物として奉げられた
日本には、古くから「牛」の字にちなんだものは供物とされてきた歴史があります。
これは、悪疫を防ぐ守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」が京都の八坂神社、愛知の津島神社に祀られていることからも分かります。
他にも、
- 牛面(ごめん):牛の顔に当てる面具
- 牛王宝印(ごおうほういん):「牛王宝印」厄除けの札
- 牛玉(ぎゅうぎょく):厄除けの玉
・・・などが「牛」の付く特別なアイテムとして、正月に行われる五穀豊穣の祭礼の中心となっていたとされます。
そのような祭礼の際に、供物として奉げられたのが牛の字が当てられた「牛蒡」だったのです。正月に供物として捧げられた牛蒡は正月を過ぎると下げられ、料理としてふるまわれました。
こうして牛蒡がおせち料理に使われるようになり、食用に用いられるようになったされています。
民俗学的にも大変興味深いお話でございます。
牛蒡の保存方法
牛蒡は乾燥で堅くなります。ゆえに、新聞紙に包んで冷暗所で保存しましょう。傷さえなければ、2週間程度保存することができます。
「金平牛蒡」の由来
金平牛蒡(きんぴらごぼう)は牛蒡を細く刻んで油で炒め、醤油・砂糖・酒などでつけ、唐辛子で辛味を加えた料理です。
金平牛蒡の由来は、江戸時代に流行した人形浄瑠璃「金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)」であり、固くて辛い牛蒡料理を主人公・坂田金平の強さになぞらえて名付けられた料理です。
坂田金平は「金太郎」こと坂田金時の息子です。金平浄瑠璃の内容は、都の平和を守る坂田金平・渡辺竹綱・碓氷定景・卜部季春の「子四天王」の活躍を描いたものとなっています。
牛蒡の花言葉
牛蒡の花言葉は以下の2つです。
- touch me not:「触っちゃイヤ」「尊大な人」「よそよそしい女性」
- importunity:「執着」
なんかツンツンしてるね。
固くてとっつきにくいという特徴から来てるんじゃないんですかね。憶測で
すが。
牛蒡にまつわる故事・ことわざ・慣用句
牛蒡にまつわることわざ・慣用句をいくつか紹介します。
- 「牛蒡抜き」:牛蒡を勢い良く引き抜くように、一気に抜いてしまうこと
- 「ごんぼ(牛蒡)掘り」:牛蒡を引き抜く(掘る)のは力が必要で厄介なことが転じて、面倒な人、くだを巻く人、無理難題を言う人、文句ばかりの人を指す
- 「人の牛蒡で法事する」:他人が持参した牛蒡で法事の料理を作ることから、他人の物で自分のやるべきことを済ませること、転じて他人に便乗して済ませてしまうこと
- 「牛蒡の種まきは柿の葉三枚」:柿(木)の芽に葉が三枚付いた頃に、牛蒡の種をまくと良いという教え
- 「酢はなます 牛蒡は田麩(でんぶ)」:なますは酢が、麩(ふ)は牛蒡があるとおいしくなることから、料理の際に欠かせないアイテムのこと
- 「牛蒡を同じ土地に二年作らぬ者は馬鹿」:牛蒡は同じ土地で作ると収穫量が増えると信じられたため/牛蒡は地中深くまで根を伸ばすため、畑の土をよく混ぜて、次の栽培のためにも良い土を作るとされる
牛蒡の特徴をうまく捉えた面白いことわざが多いです。
食用が珍しすぎて虐待扱い?
第二次世界大戦後、戦時中の戦犯行為について裁く裁判が行われていました。その際、日本の食事情に詳しくない者が裁判を担当したため、不当な判決を受けた例がありました。
戦時中、日本軍の収容所所員が食糧が不足していても「良いものを食べさせたい」として、当時貴重品だった牛蒡を買ってきて収容者に食べさせました。
しかし、収容者が「木の棒を食わせて虐待された」と訴えたため、所員が刑罰を受けたというものです。(虐待の告発内容は他にもあるとのこと。)
後に『私は貝になりたい』としてこの話を参考にしたフィクションとしてテレビドラマ化されました。
生薬「牛蒡子」の由来
「牛蒡子(ごぼうし)」とは、漢方薬に用いられる生薬(しょうやく)の一種で、牛蒡の種子を乾燥させたものです。
由来は定かではありませんが、「牛房子(ごぼうし)」は牛蒡の種子を指すため、牛蒡子と呼ばれると推察されます。
煎じて飲用すると腫れの治癒に効くとされ、漢方薬としては扁桃腺炎、神経症、湿疹、じんましんなどに含まれています。
中国では「悪実」とも呼ばれたワケ
1596年に中国で出版された薬学書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には、牛蒡について「悪実」と記載されています。
そのまま訳せば「悪い実」とされ、トゲが多くて(薬にするには都合が)悪い植物だったためといわれています。
しかし、「悪」には「強い」という意味もあり、滋養強壮の効果があったためにそう名付けたと解釈する方もいます。