【北海道の由来】「北加伊道」だった?日本に道が一つしかないワケ

地名

 

北海道がいつからどうしてこの名称になったのか気になりますよね。
まずはその由来を5秒で確認しましょう。

 

  • 北海道の由来:「北加伊(かい)道」から
  • 「加伊」はアイヌ語の「カイノー」に由来するもの
  • 松浦武四郎が尊敬の意味を込めて「北加伊(かい)道」とした
  • 日本の「北」はロシアの脅威から日本を守るための重要拠点であり、政府が積極的に開拓を行った
  • 「道」は日本が古代より使ってきた行政単位であり、ある理由から「道」を使うしかなかった

 

今回は北海道の由来と歴史を解説していきます。

 

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「北海道」の由来は「北加伊(かい)道」

 

北海道の由来となった「北加伊道」の名付け親は幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎(まつうらたけしろう)です。武四郎はアイヌ民族の協力を得ながら、蝦夷地を探検し、数多くの地名・伝承の聞き取りを行いました。このような功績から、彼は「蝦夷通」として名が知られるようになります。

 

そのため、明治になると「政府から蝦夷地に変わる名称を考えて欲しい」と政府から依頼が来ました。武四郎は蝦夷地の新しい名前の候補をまとめた書類を政府に提出します(1869年・明治2年)。この書類では、蝦夷地の新名称の候補を以下の6つとしました。

 

  • 日高見道
  • 北加伊道
  • 海北道
  • 海島道
  • 東北道
  • 千鳥道

 

結果この6候補のうち、「北加伊道」と「海北道」を混ぜた「北海道」が選ばれました。しかし、武四郎は「北加伊道」こそ蝦夷地の名称にふさわしいと主張します。その理由は、アイヌ民族への尊敬の意味を込めたためです。

 

「北加伊道」の「加伊(かい)」はアイヌ民族がお互いを呼び合う際に使う言葉「カイノー」に由来しています。しかし、政府側は武四郎の主張を認めず、「加伊(かい)」を「海」へと置き換えた北海道が誕生します。

由来にロシアが関係?

 

明治以前の北海道は、本州に住むに人間たちから「蝦夷地(えぞち)」「蝦夷ヶ島(えぞがしま)」などと呼ばれており、蝦夷が住む異郷の地とされていました。

 

江戸時代も後半になると、世界各国の航海技術の発達し、世界中から日本近海に船が接近します。そのうちの一つが北から進出してきたロシアでした。極寒のロシアは一年を通してほとんどが冬です。軍事拠点ともなる凍らない港「不凍港(ふとうこう)」を必要としていました。

 

ロシアはその不凍港を求め、領土を拡大しようと南下してきます。そうなると、日本の最北端はロシアの脅威にさらされるため、北方の警備も重要になりました。

 

こうした背景があり、警備以前に蝦夷地を日本の領土として正式に認める必要があったのです。こうして蝦夷地の開拓が進み、名称が変更される機会がやってきたということになります。

 

「北海道」:1つだけ「道」の理由

 

47都道府県もあって、「道」が1つだけあるのには、違和感を感じませんか?
道が1つだけある理由は、道単位で北海道の地を治めたためです。

この道は7~10世紀律頃に実施された「律令制」に由来します。
律令制は、古代の日本が中央集権体制を整える目的で導入された新しい政治のやり方です。その過程で日本中に散らばる国を束ねて、まとまった単位で呼ぼうという考え方が生まれます。

 

明治に入ると、この単位は「五畿七道(ごきしちどう)・畿内七道(きないしちどう)」と呼ばれるようになります。

(ancoさんによるイラストACからのイラスト)

SAITO
SAITO

「五畿・畿内」には、都とその周辺である大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国の五国(現在の京都・大阪とその周辺)が含まれています。

 

「七道」には以下のような地方名が存在していました。

 

  • 東海道
  • 東山道
  • 北陸道
  • 山陽道
  • 山陰道
  • 南海道
  • 西海道

 

こうして「道」と呼ばれる行政単位が用いられるようになりました。地図を見るとわかりますが、非常に広域な行政単位であることが分かります。

 

1871年(明治4年)に北海道という単位が誕生したので「五畿七道」は一つ道を加えた「五畿八道」となります。その後、廃藩置県でこの地には函館県・札幌県・根室県の3つの県が誕生しました。

 

しかし、「役人の数が増えるだけで効率的ではない」「開拓事業の実績が出ていない」と批判されるようになります。そのため、北海道という道単位で行政を行うことになったのです。

 

やがて五畿八道の単位は廃れてしまいましたが、北海道だけは道単位で行政を行っていたため、その道の名前が残ったのです。この五畿七道は明治に入ってからも使用され、1000年近く続いた歴史あるものであり、「東海道自動車道」「北陸新幹線」など今もその名残があります。

 

整理

 

今回解説した内容を時系列順で整理します。

 

  1. 北海道は元々蝦夷地・蝦夷ヶ島と呼ばれていた/ロシアの脅威
  2. 幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎が政府から蝦夷地の新しい名前を決めるよう依頼され、「北加伊道」を主張
  3. 1871年には結局「北海道」に/「五畿七道」に一つ道を加えた「五畿八道」となる
  4. 五畿八道は廃止となったが、北海道だけは行政単位だから残った

 

こうなります。
北海道には、「アイヌが暮らす地」「ロシアをけん制するための重要拠点」の2つの意味がありました。

 

日本の地方区分がすぐ分かる記事|由来も知ってより確実に!【まとめ】

 

 

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