ある日突然「日本の地方区分っていくつある?」と聞かれると、焦って答えてしまう方もいますよね。
地方区分も日頃思い出す機会に乏しいと、割と忘れるものです。
まずはお急ぎの方へ、地方区分の一覧を提示してから、由来の解説をします。
地方区分一覧と都道府県
地方区分は以下の8つです。
- 北海道地方
- 東北地方:青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島
- 関東地方:東京・埼玉・神奈川・千葉・群馬・栃木・茨城
- 中部地方:愛知・新潟・長野・山梨・静岡・富山・岐阜・石川・福井
- 近畿地方:大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・三重・滋賀
- 中国地方:鳥取・島根・岡山・広島・山口
- 四国地方:香川・徳島・愛媛・高知
- 九州地方:福岡・大分・宮崎・長崎・佐賀・熊本・鹿児島・沖縄
ちゃんと8つありますよね。この区切り方は「八地方区分」と呼びます。
八地方区分とは、日本列島を8つの区分で区切る、区切り方のことです。
地理的な関係を地図で表すと以下のようになります。
(出典:【都道府県名入り】日本地図のデフォルメイラスト画像<地方区分色分け>https://japan-map.com/nihonchizu-color-todofuken-deformed)
この八地方区分はあくまで「日本列島を8つの区分で区切る」だけであり、区切り方は以下のような例外が存在します。
- 北海道地方を東北地方に含め、「北海道・東北地方」とするケース
- 沖縄を九州地方に含めずに「沖縄地方」とするケース
- 沖縄と奄美群島を合わせて「南西諸島」とするケース
基本的には、先ほどのイラストの分け方で間違いありません。
「こんな分け方も存在するんだ」くらいで覚えておけると良いでしょう。
ここからは各地方の由来について解説していきます。
由来まで覚えて、より記憶に定着させましょう。
北海道の由来:「北加伊道」から
北海道の由来は、明治時代に成立した北加伊道です。
同様に「ホッカイドウ」と呼びます。
違いは「カイ」に当てる字の違いだけですが、ここにはアイヌ民族と明治政府の関係を巡る深い歴史があります。
また、47都道府県もあって、なぜ「道」が一つだけか気になりませんか?そのあたりも押さえると、より北海道に関心が持てますよ。
東北地方の由来:畿内(都)から見て東北
結論:畿内から東北にあった「東海道・東山道・北陸道」三道合わせて「東北」です。
東北地方は、以前は「陸奥」または「奥羽」の名称が用いられてました。現在の「東北」の名称が用いられるようになったのは、幕末から明治の頃です。
「東北」の名称は、戊辰戦争中の1868年(慶応4年)に朝廷から出羽国久保田藩(現在の秋田県)に送られた内勅(ないちょく/朝廷からの極秘命令)にも登場します。
この内勅には・・・
・・・というような内容が記されています。
この三道とは、以下の3つの地域のことです。
- 東海道
- 東山道
- 北陸道
まずは東海道・東山道・北陸道の位置関係を確認しましょう。
(ancoさんによるイラストACからのイラスト・加工済み)
このような位置にあります。すべて朝廷の住まう畿内から東北の方向ですよね。
そして、先ほどの内勅は、畿内から久保田藩に送られたもの。そのため、「畿内から東北の方角」ということで「東北」として扱われたのです。
その後、「東北」の名称が知られていきました。
そして明治10年代頃には、九州・四国などの「西南」に対する名称として、現在の東北地方の名称として用いられるようになります。
当時は「西南戦争」が起き、自由民権運動高まりつつある時代でした。これに対抗する名称として、「東北」という名称を定めたともされています。
関東地方の由来:三関(さんげん)の東側から
「関東」の由来は7世紀半ばの壬申の乱から、都を守るために設置された3つの関所「三関(さんげん)」の「東側地域」に由来します。関所の東で「関東」です。
「関西」の由来も同様で、3つの関所の西側にあったため、「関西」としました。
しかし、関西の呼び名が付いたのは、明治以降であり、1000年近くの差があります。
実は関西・関東言葉自体の由来は中国にあったりします。関東誕生の歴史を追っていきましょう。
中部地方の由来:本州の中(央)部から
中部地方が地方区分として初めて使用されたのは、明治30年代(1897~1906年頃)の国定教科書とされています。
国定教科書とは、国が指定する教科書のことです。
その編さんにあたり、中部地方は・・・
・・・として、暫定で付けられた地方区分の名称でした。
あくまでも「しばらく」なので、そのうち変更する予定だったのでしょう。
しかし、「本州の中部(中央部分)」として、認識を高めることは可能です。さらに、関東(東京)と近畿(京都・大阪)の間にあるという地理的な重要性を感じ取ってもらえるネーミングであります。
候補がないとして、とりあえずつけておいた名前でしたが、重要性を認識させるという意議がありました。
近畿地方の由来:都(みやこ)の近くであるため
7~10世紀の日本で行われた「律令制」の際に敷かれた「畿内(きない)」に由来するものです。
「畿内」とは、古代の「首都圏」のことを指します。
この「畿」とは、本来、天皇の直轄地・皇居、都のことです。
つまり、「都内」のようなニュアンスに近いと言えます。
この畿内には、以下の5つの国が含まれていました。
- 大和国(現在の奈良県)
- 山城国(現在の京都府南部)
- 和泉国(現在の大阪府南部)
- 河内国(現在の大阪府東部)
- 摂津国(大阪府北部と兵庫県南東部)
地理的な位置関係は以下の図の通りです。
(ancoさんによるイラストACからのイラスト・加工済み)
畿内はこの赤茶色の部分です。
続いて、現在の近畿地方を見てみましょう。
「近畿」の範囲は、畿内よりも広くなっていることが分かりますね。
このように、畿内の近郊を含めた地域もまとめて「近畿」と呼んでいるのです。
推測ではありますが、「近畿」には「畿内と畿内近郊」のような意味合いがあるのではないでしょうか。
関西と近畿の違いは「三重県」を含むか含まないか
- 三重を含めば、近畿地方
- 三重がなければ、関西地方
関西地方は近畿地方の中でも、三重県西部にある鈴鹿関より西側(関西)を指すため、三重県は除外されてしまいます。
この鈴鹿関が「関東」の由来にもなった3つの関所「三関(さんげん)」の一つです。
中国地方の由来:国と国の「中間」から
中国地方の由来には、諸説があります。
どの説でも国と国の中間あたり(はざま)に存在するため、「中国」としたのであり、中華人民共和国の略称「中国」とは関係がありません。
地方区分をすんなり覚えたい方は、このあたりの説もはっきりさせておきましょう。
四国地方の由来:4つの国から
今ある4つの県(高知県・愛媛県・香川県・徳島県)から四国とした、というわけではありません。
正確には、4つの県の旧称から「四国」としたのです。
その旧称とは以下の4つとなります。
- 阿波国(あわのくに):現在の徳島県
- 土佐国(とさのくに):現在の高知県
- 伊予国(いよのくに):現在の愛媛県
- 讃岐国(さぬきのくに):現在の香川県
これらの国々も奈良時代以降に「律令制」が実施された際に配置された「令制国(りょうせいこく)」です。
4つの令制国を合わせて、「四国」としました。
戦国時代の日本を描いた古典文学書『陰徳太平記』(いんとくたいへいき)には、「山陰山陽四国九州」と記述されており、「四国」の名称が確認できます。
九州地方の由来:9つの国から
四国の場合と似ていますね。
九州の場合は、以下の9つの「令制国」がある島を「九国」または「九州」と呼びました。
- 筑前国(ちくぜんのくに)
- 筑後国(ちくごのくに)
- 肥前国(びぜんのくに)
- 肥後国(ひごのくに)
- 豊前国(ぶぜんのくに)
- 豊後国(ぶんごのくに)
- 日向国(ひゅうがのくに)
- 大隅国(おおすみのくに)
- 薩摩国(さつまのくに)
それでは、なぜ九「国」ではなく九「州」となったのか、その理由は定かではありません。
その理由を考えてみます。
沖縄の由来:「ウチナー」から
島民が島または島の一部を指すときに使う「ウチナー」から
沖縄は九州地方の1つにカウントされています。
が、沖縄本島は琉球王国として独立していた時期もあったため、その歴史は深いです。
そこで、沖縄についても、由来を考えておきたいところ。
琉球の歴史に触れながら、「沖縄」の由来について考えてみました。
「二区分」「三区分」など他の分け方もある
ここまで紹介した地方をおさらいします。
- 北海道地方
- 東北地方
- 関東地方
- 中部地方
- 近畿地方
- 中国地方
- 四国地方
- 九州地方
これは八地方区分と呼ぶのでしたね。
この八地方区分は絶対というわけではなく、二区分法・三区分法なども存在します。
- 二区分法:「東日本+西日本」「太平洋側+日本海側」
- 三区分法:「北日本+東日本+西日本」「東日本+中日本+西日本」
- 四区分法:「北日本+東日本+中日本+西日本」
このように分け方一つとっても、様々な分け方があることが分かります。「中日本」は中部・近畿地方周辺、「北日本」は北海道・東北地方を指します。
・・・が、このあたりの定義は「曖昧」とされています。天気予報を見るとわかりますが、報道メディアによっても地域の定義が異なるケースがあります。
どんな区分を使っているのか、注意深く聞いていると楽しいかもしれませんね。