「正月」は歳神様(としがみさま)を迎え入れる1年の始まりの行事です。正月の行事は様々なものがありますが、ほとんどがその歳神様を迎え入れる準備に由来します。
今回のテーマはその「正月」の由来・語源です。
正月の由来:古代中国の暦から
日本の正月は中国最古の王朝「夏(か/紀元前1900年~紀元前1600年)」が用いた暦「夏暦(かれき)」の「正月」に由来します。
夏暦では、冬至を含む月(11月)を1年の始めの月として、1年を十二支で12等分してカウントします。
- 「子の月(ねのつき)」 :旧暦11月
- 「丑の月(うしのつき)」:旧暦12月
- 「寅の月(とらのつき)」:旧暦1月←正月
- 「卯の月(うのつき)」:旧暦2月
- 「辰の月(たつのつき)」:旧暦3月
- 「巳の月(みのつき)」:旧暦4月
- 「午の月(うまのつき)」:旧暦5月
- 「未の月(ひつじのつき)」:旧暦6月
- 「申の月(さるのつき)」:旧暦7月
- 「酉の月(とりのつき)」:旧暦8月
- 「戌の月(いぬのつき)」:旧暦9月
- 「亥の月(いのつき)」:旧暦10月
正月を「寅の月」とした理由は、後の「秦(紀元前771~紀元前206年)の始皇帝」の誕生月が寅の月であるためです。
また、正月は「政月(セイグワツ)」とも呼ばれ、政治に専念した始皇帝にちなんだともいわれます。
夏暦はその後、清の時代(1644~1912年)まで使用されました。
正月は日本人の考え方にピッタリだった
夏暦は日本には飛鳥時代(592~710年)頃に渡来したとされます。
夏暦では「寅の月(旧暦の1月)」が孟春(もうしゅん/新春・立春の意)であり、1年の始まりでした。ゆえに、日本でも「寅の月=春=正月が1年の始まり」という考え方が生まれたとされます。
また、日本には、暦が伝来する以前にも、正月の時期に先祖を祀る行事「祖霊祀り(それいまつり)」が存在したとされます。
この日本の習わしと中国の暦が融合して、1年の始まりである正月に祖霊「歳神様(としがみさま)」を迎える行事が誕生したのです。
正月に祀る「歳神様」とは
歳神様(としがみさま)とは、正月にやってくる豊作の神様とされています。
日本はかつて農耕社会であったため、豊作の神様を祀る行事は重要視されていたと推測できます。
だから、正月というイベントがその名残として現在まで残っているわけだね。
歳神様は天空から降臨するため、山にある松を利用して「門松」を作って門に飾り、歳神様を迎えようとました。
また、家の中には祭壇を設けて、その地で採れた「作物」や米から作った「鏡餅」を歳神様への供物(くもつ)として捧げました。年が明けてから、この供物を下ろして煮込んだのが「雑煮」です。
また、その際に餅を配るという慣習が変化して、お年玉を贈るという行事が生まれたとされています。
歳神様が家に訪れるように、全国各地には年末から正月にかけて「来訪神の行事」が行われる場合があります。その代表的な例が「なまはげ」です。なまはげの起源は歳神様にあるともいわれています。
正月のおせち料理や七草粥の由来
正月にはおせち料理を食べますが、これは年五回の節句を祝って食べた「節供(せちく)」に由来します。
5回のうち、1年の始まりである正月のお供え物は特に重要だったため、「御」を付けた「御節供(おせちく)」と呼び、現在の「おせち」に転じたとされます。
七草粥は春の七草を入れた粥です。春の七草を食べる理由と七草粥の誕生については以下の記事で詳しく紹介します。
正月行事と正月の期間
正月の期間については各地方で定義が異なります。
例えば、
- 門松などの松飾りを置いておく「松の内」の期間に合わせる場合
- 元日から3日までを「正月三が日」と呼び、これを「正月」とする場合
- 正月行事が続く1月いっぱいを「正月」とする場合
があります。
また、正月行事は元日の「大正月」と15日の「小正月」に集中しています。しかし、地域によっては7日を「七日正月」、20日を「二十日正月」として、行事を行う場合もあります。
スケジュール表で整理してみましょう。
この「松の内」、最初は15日の小正月までとされていました。しかし、関東を中心として「松の内」を7日までに短縮しているケースも多く見られます。
これは1662年(寛文2年)に江戸幕府が庶民に「正月の7日までに松飾りを片付けてね」「町中で松飾りを焼いて処分しないように」と命令を出したことに起因するものとされています。
幕府がなぜこのような命令を出したかは不明ですが、市中の防火のためとも言われています。